日本には魅力的な観光資源が数多くある。島国で培われた独自の文化、南北に伸びる各地各様の四季と景観、高品質でリーズナブルな食・製品・サービス、そして、来訪者の満足を喜びとする人間力。これらを言い換えると、「風光明媚で、おいしい食事と温泉があり、人との温かい触れ合いと文化体験、充実したショッピングができるまち」と言える。
これをなじみ深い表現にすると、「幕ノ内弁当」である。質が高く、手ごろで、何でも楽しめる。この“幕ノ内弁当市場”で勝ち切ることができるのは、ほかの追随を許さないブランド力・技術力・資金力を持つプレーヤーだけだ。
有名観光地ではない各地域が勝ち切れる市場は“幕ノ内弁当市場”ではなく、他地域と差別化できる“ご当地弁当市場”である。よって、地域に求められる観光人材は、“幕の内弁当的”な総合観光の売り子ではなく、“ご当地弁当的”なテーマ特化型の観光商品を開発し、その魅力を独自の体験価値として発信できる人材を指す。
事業戦略における「真の顧客」とは、自社が提供する価値の本質を正しく理解し、享受し、そこに適切な対価を支払う顧客を指す。取引額が最も高い顧客とは限らない。また、自ら伝道者となり、その価値を広める熱狂的なファンでもある。観光業界における顧客とは「観光客」であり、旅行商品をともに造成し、販売し、受け入れるパートナーだ。
「真の」という枕詞を持続可能な観光の理念に照らした場合、「その地域の来訪者・産業・環境・地域社会がWin-Winになるポテンシャルを持つ市場はどこか」という問いが生まれる。答えは、企業経営における「勝てる場の発見」と「勝てる条件づくり」にある。(【図表】)
【図表】企業経営とは「勝てる場の発見」と「勝てる条件づくり」
出所 : タナベコンサルティング作成
現代はニッチマーケットが無数に増える過程である。デジタル技術の進化は、多種多様な価値観を形にし、コミュニティーを形成し、誰もが発信者となり、誰もがコンテンツの提供者になり得る状況をつくり出した。
ニッチマーケットは、小回りが利く企業や組織にとって有望な市場である。規模の経済(大量消費市場でコスト低減により競争力を発揮)が成り立つ市場は、大企業の土俵だ。裏を返せば、ニーズはあるが小規模な市場は、それ以外のプレーヤーの土俵である。
また、宿泊や交通のキャパシティーが限られる地域において、年間数万~数十万人の観光客の受け入れは「持続可能な観光」とは言えない。つまり、ニッチマーケットこそが、多くの地域における持続可能な観光の主戦場なのだ。
この市場における価格戦略は、誰もが買い得る価格ギリギリの値付け(価格競争)ではなく、特定のターゲットには苦にならない、利益率と両立した値付け(非価格競争)が重要である。
「戦略」とは、経営資源を集中投下することだ。裏を返すと、「やらない」を決めることでもある。誰に、何を提供するか。誰に、何を提供しないのか。
ニッチマーケットで戦うことは、地域の人口減少問題とも密接に結び付いている。ほとんどの地域の人材シナリオは、「微増・維持・減少」のいずれかであるため、観光サービスの担い手が急増することはない。経営資源を重点配分し、特定の領域に集中投下することが重要である。
ヒト・モノ・カネ・情報・時間・ブランドなどの経営資源の中で、唯一「ヒト(人材)」だけが、そのほか全ての資源を使いこなせる。昨今流行している生成AIにできず、ヒトにだけできるのが「戦略の決断と実行」である。選択肢の絞り込みまでは生成AIにできても、どれを選び、どのように実行、推進していくかは人材にしかできないのだ。
そこで観光庁は、観光産業の担い手として「観光産業をリードするトップレベルの経営人材」「観光の中核を担う人材」「即戦力となる地域の実践的な観光人材」の3層構造育成を推進している。国の施策と地域独自の施策を組み合わせながら、地域における持続可能な市場を決め、経営資源を集中し、戦術を実行する戦略思考を持つ人材の育成へ、継続的に取り組むことが重要である。
真の顧客に届くブランディングの実践~ブランディング戦略~
「ブランド」は、企業・地域における経営資源として重要な価値を持つ。観光地単独の経営資源は限られるが、観光においては隣地・飛び地のブランド力を生かすことができる。ステークホルダーの利害調整においても、ニッチマーケットにおいて強いブランド力を持つことは相互補完につながり、「良き隣人」「良き協力者」をつくることができる。DMO※であればDMO域内各地で、地域連携DMOであれば地域間で、単独では呼び込めない旅行客の誘客、単独では満たせないキャパシティーやバリエーションの相互補完が可能となる。
ブランドとは心に蓄積されたイメージであり、ブランディングとはそのイメージをアクション(消費行動)につなげる活動である。
SNSをはじめとするデジタルプラットフォームが進化し、情報は速く、広く、遠く、そして、より特定のターゲットまで届くようになった。“情報爆発時代”において、埋もれない情報発信の肝は「真の顧客に届くブランディング」であり、戦略思考が起点となる。
最優先は、“現在の真の顧客“に応え続けること、次に“将来の真の顧客“を開拓し続けることだ。新規誘客やデジタルPRに傾注し、経営資源を分散した結果、「既存客を引き付けてきた固有価値が減少し、知らぬ間に離れられていた」という事態は避けなければならない。
経営は「バランス」が重要であり、戦略は「実行」が重要である。これからの観光人材に求められるのは、重点集中する戦略思考、国内外を見渡す視野、そして将来を見通す視座だ。地域観光の担い手を対象とした「質の高いインプット」「模擬実践」、そして、実践を繰り返す継続的な人材育成が、中長期的に強い観光地域を創る。
※ 観光地域としての魅力を高めることを目的とした組織
The post 3つの戦略領域を担う観光人材の重要性:矢野 裕之 first appeared on メディアサイト「TCG Review」.